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退職した4人の銀行員による4つの真実

褒められもせず苦にもされず

学生時代に感じた違和感はやはり違和であった。

 

「今まで何人と付き合ったことある?」

 

と聞かれた時、果たして中学時代の元カノを数に含めるべきか否か。

 

恋愛などと決して呼ぶことのできない初々しすぎて恥ずかしすぎる青春は、

おそらくその回答に入れるべきでない。

 

なんとなくそんな風潮が世の中にはあり、

そのせいで、いつのまにか数に入れてはいけないという幻想が私の中にインプットされている。

 

そもそも付き合った人数が多い方がいいとか、少ない方がダメとか、

そんな話は抜きにしてほしい。

 

本当に数に入れるべきでないのだろうか。

少なくとも当時はその恥ずかしいほどの青春を恋だと思っていたはずだ。

 

以上は全くの余談である。正直、どっちでもいい。

 

 

 

私が言いたいのは、

上記のような感覚で、幼少期や中学生、高校生の時の当時の"思考"は未熟なのもであると決めつける傾向にあり、それは間違っているのではないか、ということだ。

 

そもそもそのような傾向にあるのは私だけかもしれないが、

全人類がそのような傾向にあるかのごとく話を進める。

 

なぜこんな話になったのか。

近頃、フリーターという地位を最大限に活用し、よく頭を使っている。

だから、様々な発見があった。

その"発見"の瞬間、「あ、これ学生時代に考えたことあるな、高校生の時だっけか?」

みたいな感覚が多々あったのだ。

 

ここではその一例を紹介したい。

 

 

 

 

 

私たちの祖先は紀元前何万年も前に認知革命を起こし、地球唯一のホモ属となった。

そう、ホモ・サピエンスだ。

ホモ・サピエンスは想像という能力を手に入れ、様々な架空を作り出すことで、生物ヒエラルキーの頂点に立った。

社会を意識し、貨幣を取り入れ、文字や国、会社を作り出した。

何十億ものホモ・サピエンスが同じ方向を向くためには、壮大な幻想を皆が共有する必要がある。貨幣や国、会社なんかも全てその幻想だ。実体はない。

そんな幻想を日本の一般人レベルにまで落とし込んでいくと、働いてお金を稼ぎ自立しなければならない、といったものにたどり着く。

人間が生み出した国という架空の概念の中で、架空の会社というものに所属し、これまた架空のお金を稼ぐことだ。

これは別に人間を否定しているわけではない。だったら、アマゾンで自給自足の生活でも送ってろ、と言われてももうできないし。

けれど違和感はある。人間が作り出した架空に縛られて生きていく。

自由な時代に生まれてきたはずが、気づけば周囲は私たちの先祖が作り出した想像だらけだ。

その中で、やはり無人島ですら生きていくことはできないので、なんとか社会との折り合いをつけ、気ままに生きていくよう意識しなければならない。

 

そんなことを考えていた。

 

あれ、なんかこの感覚前にもあったような、、、

 

 

そう、高校生の時だ。

友人と『働くとは』みたいなテーマで話していた。

当時の私たちの意識に、大学を卒業して働かなければならないという考えが間違いなくあったのだろう。

誰かが「働きたくねーな」と言ったのがその証拠だ。

「何のために働くの?」

「お金でしょ」

「だったら100億円持ってたら働かないかな?」

そう言ったのは私だ。

一瞬間が空いた、気がする。

「多分働くと思うんだよね、じゃないと人生暇じゃない?」

そう言ったのも私だ。

 

高校生の私たちには架空のインプット量が少なかったのだろう。

会社に勤めて自立しなければならないといった幻想はインプットされていなかった。

なぜか働かなければならない、その程度の幻想しかインストールされていなかった。

 

なぜ働かなければならないのか、生物的本能と現実(架空)とのギャップに疑問を馳せるのは至極当然の流れだ。

 

大学を卒業し、社会に出た。就職をした。

気づけば膨大な量の幻想がインストールされ、いつの間にか働く意味を考えなくなっていた。

高校生の時に感じた違和感は、よくわからないストレスというものに形を変え、ただただ膨張していく。

ストレスの奥底にある違和感はもう感じることができない。

ストレスが爆発したタイミングで会社を辞めた。

そしてフリーターとなり、ストレスフリーな生活を送っている。

同時に、再びあの違和感にたどり着いた。

幻想がインストールされる前の未熟な学生の感覚は、私たちが思っているよりも重要なことなのかもしれない。

 

それを知ってか知らずか、

私は「なんか学生っぽいね」と言われることが嫌いではない。

加えて最近はもう一度大学に行こうかと考えている。

 

 

 

 

 

 

バーチャルリアリティとの折り合いをつけなければならないのだが、

やはりどうしても、世間一般に言う"労働"はしたくないのだ。

 

何とかして活路を見出すために、私は今日も、Macを叩いている。