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退職した4人の銀行員による4つの真実

褒められもせず苦にもされず

2つの職場を辞めて見えてきた理想の職場

2年で2回仕事を辞め、海外をフラフラした後に3つ目の職場で働き始めた今、ようやく「こういう感じで生きていけばいいのか」というのが見えてきた。

 

今が100%理想の環境であるのかどうかは分からないが、間違いなく状況は改善され、正しいレールに乗った感はある。

 

その感覚を、もう少し細かく素因数分解し、この満足感とも安定感ともつかぬ実感の正体を検証していきたい。

 

 

ストレスからの開放

「こんなに楽でお金がもらえる仕事はない。全然社会のためになってないけど」

 

というのが、一つ目の会社で働いていた時に感じていたことであった。

大学の部活のハードさに比べれば肉体的にも精神的にもお話にならないくらい負荷はかかっていなかったし、「まじでスゲエ」と思える人もいない職場だった。

幸い周囲には恵まれ、裁量権がある程度与えられた中で仕事ができたので、そこそこ面白いと感じることもあった。

 

けれども、それは辞めた今だからこそ言えることだとも思っている。

下らなさすぎてほとんど忘れてしまったが、本当に下らないと思うことが結構な頻度で起こり、その事実をやり過ごすための感情の処理と、その事実を共有する場から開放されるための未来の道筋の模索に相当なエネルギーがかかっていたのは間違いない。

業務もあくまで業務、というかほぼルーティン雑務だったので、それ以外の時間で色々と勉強をして自分の付加価値を高めていく必要があり、極めて非効率だった。

そういう意味ではプレッシャーとはまた別の、焦燥感や無力感からくるタイプのストレスにさらされていたといえる。

 

そこで、得たいスキルを業務として身に付けることができ、今より高い報酬をもらえ、学歴と口先だけでなんとかなるポテンシャル採用をやっている、年功序列でない生産性高めの会社に転職することにした。

 

そして、下らない人間関係とスキルアップのない仕事が原因で生じていた、大学時代とは全く異なる種類のストレスから開放された。

 

 

仕組みからの開放

二つめの会社は、想像していた通り全てがとても合理的だった。

当たり前が当たり前でない会社からやってきた身としては、いちいち新鮮で面白かった。

ただ、人数があまりに多いゆえに、全員にとっての最適解というものは存在せず、あらゆるトレードオフの中でバランスをとっていく必要があった。

そして、これも人数が多いゆえに起こりうる問題だと思うが、自分が個人として認識されていないという実感がすごかった。

 

そこそこ頑張っている一兵卒。

 

それが、この採用制度の問題点であり、限界であった。

 

また、これもポテンシャル採用をやっている以上、仕方のないことだが、競争意識をすごく掻き立てるようなシステムが採用されていた。

「教育ママ」とまでは言わないが、会社が「熱心な塾の先生」くらいの存在ではあったように思う。

それでいてこちらがお金をもらっているのだから、何の文句のつけようもないのだが、今まで「勉強しろ」と言われたことがない身としては、それが少し辛くもあった。

会社として必要な兵隊の量と質が決まっており、そのためにリソースを最大限活用する方法としては全くもって異論はないし、むしろ尊重すべきことであるのだが、自分が一兵卒の立場となったときにやはり幾分かの居心地の悪さを感じることになる。

 

この時点でようやく気が付いたのだが、「自身の成長」「待遇」「会社の合理性」「実力主義」などのポイントが満たされても、自分が仕組みの中で管理されている状況であれば、何ら意味がない。

それらは全て保証されているわけではなく、会社都合でルールが変更される可能性があるし、パイの数は決まっていて全員がそれを享受できるわけでもない。

 

「昇給試験」「行きたいプロジェクト」「裁量労働といいながらも…」「研修の成績」などのワードからその様子を想像してみてほしい。

 

もちろんお金をもらって勉強させてもらっている以上、積極的に辞める理由など一つもない。

それは頭では分かっていた。

けれども、どこまで行っても「主権を握っているのは会社」という構図は解消されない。

 それが違和感を生み出す原因となる。


だからといって、裁量権を求めて給料の安いベンチャーに行くというのは最初から選択肢になかった。

会社のビジョンに乗せられて、自身の能力を安売りするというのは好きではないし、個人レベルでそれを回避できたとしても、まわりがそういう空気だと馴染めないと思ったからだ。

そしてそこで頑張っても報われるのは経営者であり、自分ではない。

それがどうしても最初に見えてしまう。

 

お金が多くもらえるほど組織としてしっかりとしていて、いくらやり方が合理的であっても、個を捨てる必要がある。

逆に個が活かされるベンチャーは、海千山千でお金を出さずに夢ばかり見せる。

 

営利企業のジレンマだ。

 

そういう結論に350回目くらいに達した時、たまたま新しい仕事のオファーがあった。

給料据え置き、上司なし、より希少価値の高く得たいスキル、フレキシブルな労働時間、同い年のユニークな同期三人、福利厚生は公務員と同様、そして来年度の仕事や労働条件はすべて今年度の自分たちの頑張りで決まる。

 

ジレンマからの解放だ。

もうこんなチャンスは二度とないだろう。

 

そう思って即決した。

 

営利企業のジレンマは営利企業以外には関係がないのだ。

 

 

現在

というわけで今、公務員のエンジニアという特殊なポジションでプロジェクト単位の仕事をしている。

プロジェクトのために作った職位なので、他に同じような人はいない。

出世争いもなければ、うるさく時間管理してくる上司もいない。

もちろんきちんとした成果物は出さないといけないが、それは望むところである。

仕事の安定?

そんなものは生ゴミと一緒に捨ててしまえ。

個性的な人間に囲まれ、予算も潤沢に与えられ、裁量権をもって伸び伸びと仕事ができる。

少なくとも今の自分の経験と年齢で、営利企業でこれをやるのは不可能だ。

 

 

だからこそ、と思う。 

だからこそ、そういう営利企業があってもいいのかもしれない。

万人がそういう働き方を享受するのは難しいとしても、自分と自分の身の回りの人間くらいはなんとかなるだろう。

少人数の個性的なメンバーと、互いに尊重しあいながら各々が気の赴くままに好きなことをやれる。そんな環境で働ければ、素晴らしい。

 

 

どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける

 

どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろをした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

 

どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる

 

(茨木のり子「6月」)

 

 

僕はドロップインを美しい会社にしたいと思っている。

いつになるかは分からないけど、必ずそれは成し遂げたい。