退職した4人の銀行員による4つの真実

褒められもせず苦にもされず

何より大切なものを銀行は与えてくれない

銀行員というとどんなイメージがあるだろうか。

 

高給取り、真面目、安定、出世争い、最近では半沢直樹というキーワードも出てきそうだ。

 

一年半メガバンクで働いた経験から言わせてもらうと、その多くは間違っていない。

 

けれども、それだけでは分からない、もう少し深淵で生々しい部分があるのも事実だ。

本稿では、そこをできるだけクリアーにしてみたい。

 

最初に断っておきたいのは、ここで銀行のことを貶してイメージを傷つけたり、銀行はもっとこうあるべきだという企業論を並べ立てたりするつもりはないということだ。

自分が体験したリアルを文章に書き起こし、それを題材に何かしらの問題提起ができればと思っただけである。

 

加えて言うならば、最近のネットの記事は本当に面白くない。

読んでいて腹が立ってくることもあるほどだ。

検索されそうなワードを予測し、巷に溢れている情報を適当にまとめあげ、とりあえずクリックしたくなるようなタイトルをつける。

多くの人が「なんだよ」と思う記事を書いても批判はされないし、リピートなどもともと期待していないので、また新しい記事を書けばよい。

それはそれで一つのやり方なのかもしれないが、そういった類のものよりは具体的かつ本質的で、読んでいて「面白いな」と思う記事を書く自信はある。

 

前置きが長くなってしまったが、そろそろ銀行員の世界に足を踏み入れてみたい

 

***

 

私の知る限りであるが銀行には、

浮気して左遷された者

みんなに無視されて全く仕事をさせてもらえない者

怒鳴られすぎて耳が聞こえなくなった者

お金を不正に盗んで捕まった者

等々、色々な人がいる。

 

最近電通の社員自殺事件が話題であるが、銀行では毎年のように自殺者が出ている。

力技で隠蔽しているのか、それとも当たり前すぎて報道されないだけなのかは分からないが、実際私が働いていた時も「○○寮で人が亡くなった」という話を友人伝いに聞いた。

もちろん、その時行内で正式な発表などはなかった。

 

同期の中にはストレスで血尿になったり、頭がおかしくなって「もう来るな」と言われた者もいる。

 

これは僕自身が実際に見聞きしたまぎれもない真実であるが、そこに焦点を当てて「やれブラックだ」「やれ半沢だ」などと騒ぐつもりはない。

こういった社会の裏側的な部分は程度の差こそあれ、どこにでもあることだと思うし、だから早く辞めた方がいいと言いたい訳ではない。

 

ブラック企業=社員を長時間労働させた上で給料を支払わない会社”とするならば、むしろこんなにホワイトな会社はないだろう。

 

入ってすぐは給料が低く、昇給もそれほど速くないと言われているが、総合職は3年目までは年間150万円ほどのペースでほとんど差がなく昇給する。

病んだり、失踪したり、大事件を起こさなければ、誰でも年収600万円の世界だ。

いわば大学の授業と同じ出席点ゲーである。

 

少なくとも平日に合コンをしようと思えばできるぐらいの時間には帰れる。

 

全支店に食堂があり、寮も全国に完備、寮長やら管理人やら食堂のスタッフまでいて、クリーニングも取りに来てくれる。

 

宅配便は受け取ってくれるし、面倒な役所の手続きは全て代行してもらえる。

 

それが一般の人の光熱費ぐらいのお金で手に入る。

 

減っているとはいえ、退職金もたっぷり出る。

 

 

なんだ。

 

 

ただのスーパーホワイト企業じゃないか。

 

 

だけど、と思うのだ。

 

だけど、そのかわりに失っているものがあまりに大きい。

 

 

違うと思うことを違うと言わない。

 

変だと思ったことをまわりは無理して変じゃないと思いこんでいる。

 

その内、自分が「クソだな」と思われる側に回る。

 

この環境の中で自分の人生の半分を生きるという選択肢があるのか?

僕には到底理解できなかった。

 

まわりの人間が本来備えている感受性を少しずつ失っていく瞬間を見るのが、本当に辛かった。

 

ストレス的な要因で体や心が全く病む気は全くしなかったけど、悲しいと思うことがあまりに多すぎた。

 

 

ある時、同じ部店の先輩に「やばくないですか、この会社?普通じゃないですよ」と言ったことがある。

詳細は忘れてしまったのだが、上司の圧力で体と心が病んでしまい、行方不明になった人がいるみたいな話だった。

 

「まあでも銀行ではよくあることだからねぇ」

 

小声でそう言いながら、遠くを見つめていた先輩の寂しそうな横顔が今でも忘れられない。

 

繰り返しになるが、人が消えたとかイジメがあるとか、そういったことが問題だと言っているわけではない。

そこには個人差とか運とか相性とかいろいろな原因があるし、それを体験するのはほんのごく一部の人間で、ほとんどの人は普通に働いている。

上で述べたように過剰なくらい生活環境も整えられている。

 

問題なのは、自分の脳にふたをしてしまう習慣があまりに加速してしまっていることではないだろうか?

 

あまりにも下らないことが多すぎる中で、本能的にそれらから目を背ける習慣ができてしまって、そもそも下らないという感情を忘れてしまっていることではないだろうか?

 

もちろんなんでもかんでも反発するのはよくない。

空気を読むことも時には必要だ。

だけど、常識的に考えておかしいと思うことに関しては、少なくともそれをおかしいと思う権利ぐらいはあるのでは?と思うのだ。

 

偉い人のテンプレートのような話を聞いて、「なんか偉い人の割に、話普通じゃね?」と思いながら、でも目の前にはA4裏表の感想文の紙があって、それが誰に見られるのかは分からないけれど、とりあえず不安だからあたりさわりのない無意味な言葉を並べ立てる。

 

違うだろ?

 

「小学校の校長先生の話を聞いた時以来の眠たさでした」ぐらい書かかないと、あのオッサンたちの話は一生くだらないままで、そのうち自分がそれを話すことになるぞ。

 

パーティーの出し物をする前に、尺と内容を事前に上司に報告し、出し物として問題がないかを細かく確認する。

 

違うだろ?

 

「出し物はサプライズなんで事前にネタばらしすると面白くなりません」ぐらい言わないと、そのうちそれをチェックして下らなくする側にまわって、最後は当たり障りのない出し物を無表情で見つめる悲しいオッサンになってしまうぞ。

 

官僚が国のために死ぬ気で残業するのは、まだ分かる。

オリンピック選手がその一瞬のために努力している姿は美しい。

母親が子供を出産する時に苦痛が伴うのは自然の摂理だ。

 

だけど銀行員はそうじゃない。

 

半沢直樹の言葉を借りると、しょせん汚い金貸しじゃないか。

顧客の利益より、自分たちの利益を優先する、一営利企業じゃないか。

 

 

何が自分にとって大切なのかは、もちろん人によって様々だし、時と場所によっても変わる。

 

だけど、それを自分で定義できなくなったら、生物学上は生きていても人間としてはもう死んでる。

 

僕はそう感じてならないのだ。

 

日本という何でも手に入るすごく恵まれた国に生まれたのに、あれがない、これが嫌だ、でも仕方がないと、居酒屋でグダグダと人の悪口を言って溜飲を下げる彼らの姿が滑稽でならないのだ。

 

お前、インド人にしばかれるぞ?

 

そんな話に共感してくれる数少ない友達たちは、次々に会社を辞めていっている。

 

そんな時代です、今は。

 

***

 

外国人と話していて前職が銀行だと言うと、よく「大変そうだね」と言われる。

 

どう答えたものと悩む時期もあったが、最近はこう答えるようにしている。

 

「No,no. It's too easy. だってね、

YesとI am sorry だけ知っておけば、どんなに仕事ができなくてもクビにはならないもの。退職後も年金もらって悠々自適だよ。ね、いい会社でしょ?」

 

 

そして口には出さないけど、心の中でいつもその続きをこっそり唱える。

 

 

「でもね、心から幸せそうに働いている人を見たことがないんだ」

 

 

僕は辞めてしまった一人の人間として、自らの感受性を大切にし、人間らしく幸せに生きる義務があると思っている。