退職した4人の銀行員による4つの真実

褒められもせず苦にもされず

【4/13更新】満足度を上げるために如何に自分をコントロールするかについてめちゃくちゃ個人的な話をする。

 

私たちは自分自身をどの程度コントロールしているのだろうか。

 

常に理性的になるよう努めている人や本能の赴くままに生きている人、あるいは我儘に生きたいが理性に抑え込まれている人、もはや感情など持たない人、その按配はそれぞれだろう。

 

ダイエットをしたいがご飯を食べてしまう。

上司との飲み会はつまらないが我慢しよう。

どうしてもあの服が欲しいが今月ちょっと厳しいな。

なんかよくわかんないけどイライラする。

スタバでコーヒーを飲み、タバコを吸いながら本を読んで昨日の飲み会の写真をfacebookにupしたい、けど仕事に行かないと。

 

普通に生きているだけなのに、気づけばストレスだらけだ。

仮にストレスを溜めないよう本能100%で生きれば、

仕事に行かない暴力的な太っちょがスタバでfacebookを触り続ける羽目になる。

 

 

 

 

 

 

大企業に勤めている時、私は毎日のように「本能の赴くままに生きて〜」などと思っていた、いや、もう声にだしていた。

 

 

 会社を辞めて2ヶ月。

 

いま、私は、自由に生きている。

 

まさに思い描いていた、ストレスフリーライフスタイル、だ。

幸いにも、 スタバfacebook 太っちょヤンキーマンにはなっていない。

 

 

だがしかし、ストレスフリーの獲得は新たな問題が生んだ。

「金晩」を楽しむこと、それが全くできないのだ。

これは例えば金晩の話なだけで、別に金曜日の夜に限らない。

 

 もう大企業に勤めていた時ほど、休日に対するギャップを感じることができないのだ。

 

 金曜日の仕事が終わる瞬間、土日という希望に向かって全速力で走り出す、あのなんとも言えぬ快感を得ることが、私はもうできない。

 

絶望からのちょっとしたプラスへの急速な転換は、絶望の絶対値が大きすぎるが故に、

気付けば再現不能なものになっていた

 

どうすればあの快感を再び得ることができるのか。 

 

当時のギャップを

-100(平日)から3(金晩土日)への高騰とすれば、

今私はいつ何時も30ぐらいで推移している。

 

つまり、今私があの時の快楽を得ようと考えるのならば、

明日、突然133への暴騰を生み出す必要がある。

これは生涯通しても実現可能であるか甚だ疑問だ。

 

 

しかし私は思い付いた。

 

あえて自身をマイナスへ持っていくようコントロールすれば良い、と。

 

精神的にも肉体的にも、自分へある程度の負荷をかけ、突然負荷をとっぱらう、そうゆう風に自分をコントロールする。(別にしなくてもいいのだが。)

 

 

ところが、自分に甘々な私はこれ行うことがすこぶる苦手である。

眠たい時にはすぐに寝るし、腹が減れば何かを口に入れる、幸いセックスに関しては相手がいないので出来ないのであるが、肝心な性欲があまりない。

困った、本当に。

 

  

だから少しだけ、誰も見ていないこの場で、ささやかな宣言をしたいと思う。

 

明日からの一週間、私は以下を守って生活する。

 

1.朝ご飯、昼ご飯にはグミしか食べない。夜ご飯はサイゼリヤ可。

2.睡眠時間は1日6時間に抑える。 

3.毎日腹筋をする。回数は問わない。 

4.本を3冊読む。(読みたい本が3冊あるんで、時間的制約という意味で。) 

5.一週間後、再びブログに現れる。

 

 

 

とりあえずこんなもんで。

 

 

 

 

 

 

【以下、追記(一週間後)】

 

1.未達。

 はっきり言ってグミとサイゼリヤで一週間過ごすのは不可能である。

 理由は二つ。

 ・コメダ珈琲は朝11:00までに入店しドリンクを頼むとパンが無料でついてくる。

 ・肉を食わないと活力が出ないのだが、私はサイゼリヤの肉が好きでない。すき家で牛丼食べました。

 

2.達成。

 意外にも達成できた。各日の振れ幅は大きかったが、平均ちょうど6時間ほどだった。

 

3.達成。

 少し腹筋つきました。

 

4.未達。

 一冊しか読めず。サピエンス史(上)。なんなら下巻未購入。

 

5.達成。

 正直、特筆すべき面白い出来事もなかった。あまり人と会話をしていない。

 

 

 結論:日々の充実度は下がるどころか上がってしまった。つまるところ、負荷のかけ方を間違えたようだ。明日はゆっくり寝よう、とかそんなこと全く思わない。グミとサイゼリヤの制約を毅然と守るべきだったのだろうか。